母親なのに、ひとりになりたい。
こう思う日があります。
子どもが嫌いなわけではありません。
むしろ、大事です。
「ママ大好き」
「ママがいい」
「ママと行きたい」
そう言われると、うれしいです。
うれしい。
本当にうれしい。
でも同時に、
少しだけでいいから、誰にも呼ばれない場所に行きたい。
そう思ってしまう日があります。
子どもがいない頃にも、「あ〜疲れた」「ひとりになりたい」と思う日はありました。
でも、育児中の「ひとりになりたい」は、少し種類が違う気がします。
トイレにもついてこられる。
ずっとポケモンの属性の話をされる。
「ママ、ママ」と、やりたいこと、見てほしいこと、聞いてほしいことが次々に飛んでくる。
待って、と言っても、要望は止まらない。
正直、誰の声も聞きたくないと思う時もあります。
そしてそんな自分に、また落ち込みます。
今回は、そんな「母親なのにひとりになりたい」と思ってしまう日の気持ちを、少し整理してみたいと思います。
昔の「ひとりになりたい」と、育児中のそれは少し違う
子どもの頃も、独身の時も、子どもがいない時も、「ひとりになりたい」と思う日はありました。
何も考えたくない日もあるし、誰とも話したくない日もある。
予定を全部キャンセルして、布団と同化したい日もある。
でも、今の「ひとりになりたい」は、昔のそれとは少し違う気がします。
昔は、疲れたら自分で静かな場所に行けました。
部屋にこもる。
イヤホンをする。
お風呂に入る。
コンビニに行く。
少し散歩する。
自分の意思で、静けさを取りに行けたんですよね。
でも育児中は、静けさの方が逃げ足速い。
トイレに行こうとすると、ついてくる。
お風呂に入ろうとすると、呼ばれる。
少し座ろうとすると、「ママ見て」。
トイレって個室のはずなのに、なぜかファミリールームになることがあります。
はねママこの逃げ場のなさが、育児中のしんどさなのかもしれません。
「ママ、ママ」の声が、心に積もっていく


子どもたちは、よく話しかけてくれます。
「ママ、これやりたい」
「ママ、見て」
「ママ、こっち来て」
「ママ、これ食べたい」
「ママ、聞いて」
「ママ、ママ、ママ」
呼ばれること自体は、ありがたいことなのだと思います。
子どもが安心して呼べる相手でいられている。
困った時、楽しい時、見てほしい時に「ママ」と思ってくれる。
それは、うれしい。
でも、ずっと続くとしんどい。
こちらが「ちょっと待ってね」と言っても、その“待って”の上に、さらに要望が積まれていくことがあります。
待っての上に、待って。
その上に、見て。
その横に、聞いて。
斜め上から、これやりたい。
要望のミルフィーユ。
甘くないやつ。
ひとつひとつは小さいのに、ずっと続くと、心の中がいっぱいになります。
体だけでなく、頭もずっと返事をしている感じです。
「それは危ないからやめて」
「それはあとでね」
「今ご飯作ってるよ」
「順番に聞くね」
「お兄ちゃんの話も聞くね」
「妹ちゃんも待ってね」
家庭内コールセンター。
しかもオペレーターは私ひとり。



「ママ」って呼ばれるのはうれしい。でも連続着信はバッテリーが減る。
ポケモンの属性説明も、愛しい。でも脳のメモリが足りない


上の子は、好きなものの話をたくさんしてくれます。
最近だと、ポケモンの属性の話。
炎。
水。
草。
電気。
相性。
技。
進化。
本人はとても楽しそうに話しています。
目をきらきらさせながら、あれはこうで、これはこうで、こっちの技は強くて、でもこのタイプには弱くて、と説明してくれる。
かわいいです。
好きなものを、こんなに一生懸命話してくれるなんて、今だけの宝物なのかもしれません。
でも、母の脳にも容量があります。
途中から、属性の相性がすべて、
「へぇ〜すごいね」
に統合される瞬間があります。
炎に水が強いのは分かった。
草に炎が強いのも分かった。
今の母には、静寂が効果抜群。
ちゃんと聞きたい。
子どもの話を大事にしたい。
でも、ずっと聞き続けるのは、やっぱり疲れる。
この「かわいい」と「しんどい」が同時にある感じが、育児の難しいところだなと思います。
保育園に預けていても、しんどいものはしんどい
私は平日、仕事をしています。
子どもたちは保育園に通っています。
だから時々、思ってしまうんです。
日中ずっと一緒にいるわけではないのに。
保育園に預けている時間があるのに。
それなのに、こんなにしんどいなんて。
自分のキャパが情けなくなることがあります。
でも、よく考えると、保育園に預けていることと、育児がしんどいことは矛盾しないんですよね。
仕事は仕事で疲れます。
そして、お迎えに行ったあとの時間も、なかなか濃い。
帰宅。
荷物。
手洗い。
着替え。
夕飯。
お風呂。
歯磨き。
保湿。
ドライヤー。
寝る準備。
その間にも、ずっと「ママ、ママ」は続きます。
子ども同士の小競り合いもある。
おもちゃを見てほしい。
今日の話も聞いてほしい。
「これできたよ」も見てほしい。
眠いけど寝たくない。
お腹がすいたけどご飯はこれじゃない。
仕事が終わったと思ったら、育児第二部が開演する感じです。
しかも第二部、わりとテンポが速い。
日中離れている時間があるから、平気。
そんな単純な話ではないのだと思います。
保育園で子どもたちも頑張っている。
それは本当にそう。
でも、私も仕事をして、家に帰って、そこからまた母として走っている。
どちらかだけが頑張っているわけではない。
子どもも頑張っている。
私も頑張っている。
だからこそ、どちらも休みたい日があるのだと思います。



お迎え後から寝るまで、短距離走に見えて障害物競走。
子どもも頑張っている。だから余計に苦しい
保育園に通っている子どもたちは、子どもたちなりに毎日頑張っています。
集団生活。
先生の話を聞く。
お友だちと過ごす。
お昼寝する。
給食を食べる。
家とは違う場所で、何時間も過ごす。
だから家では甘えたいのだと思います。
「ママがいい」
「ママ大好き」
「ママと一緒がいい」
そう言われると、胸がぎゅっとなります。
うれしい。
そんなふうに思ってくれるの、きっと今だけかもしれない。
今この瞬間を大事にしなきゃ、と思う自分もいます。
でも、しんどい。
うれしい。
かわいい。
ごめん。
でもしんどい。
感情の交差点です。
信号が全部同時に青。
子どもが頑張っているから、母は疲れてはいけない。
そんなことはないはずなのに、ついそう思ってしまう。
でも本当は、子どもが頑張っていることと、私が疲れていることは、どちらも本当なのだと思います。
どちらかを消さなくていい。
子どもたちも頑張っている。
私も頑張っている。
だから、ひとりになりたいと思う日があっても、責めすぎなくていいのかもしれません。



「ママがいい」は宝物。でも受け止める母の腕もたまにプルプルしている。
正直、誰の声も聞きたくないと思うことがある
正直に言うと、誰の声も聞きたくないと思うことがあります。
こう書くと、自分でも少し怖いです。
母親なのに。
子どもが話しかけてくれているのに。
そんなこと思っていいのかな、と。
でも、それは子どもを嫌いになったというより、心の中に音や要望が入りすぎている状態なのかもしれません。
ずっと呼ばれる。
ずっと返事をする。
ずっと次の行動を考える。
ずっと誰かの気持ちを見ている。
すると、自分の内側がいっぱいになる。
もうこれ以上入らない。
そんなサインとして、「誰の声も聞きたくない」が出てくるのかもしれません。
スマホだって通知が多すぎると疲れるのに、人間の心はもっと繊細です。
母の通知欄、常に赤丸。
未読999件。
だから、ひとりになりたいと思うことを、すぐに「冷たい母親」と決めつけなくてもいいのだと思います。
それは愛情不足ではなく、疲れのサインかもしれない。
最近している、小さな“ひとりに近い時間”


まとまったひとり時間を取るのは、なかなか難しいです。
半日ひとりでカフェ。
ひとりで映画。
ひとりで温泉。
そんな時間が取れたら最高です。
でも現実は、そこまでたどり着く前に夕飯の時間が来ます。
なので最近は、「完全なひとり時間」ではなく、「ひとりに近い時間」を少し作るようにしています。
子どもがYouTubeを見ている間に、近くでストレッチする
最近、子どもがYouTubeを見ている間に、近くにヨガマットを敷いてストレッチをすることがあります。
子どもたちは近くにいます。
なので、完全にひとりではありません。
途中で話しかけられることもあります。
「ママ見て」と言われることもあります。
ヨガマットの上に子どもが乗ってくることもあります。
ヨガマット、母の陣地のはずなのに、わりと侵略される。
それでも、ゆっくり呼吸しながら体を伸ばしていると、少しだけ自分に戻れる気がします。
子どもはYouTube。
母はストレッチ。
同じリビングにいるけれど、それぞれ別のことをしている。
このくらいの距離感が、今のわが家にはちょうどいい日があります。
YouTubeに頼ることに罪悪感が出る日もあります。
でも、母の心が少し落ち着くなら、それも家を回すための道具のひとつでいいのかなと思っています。
完璧な育児より、倒れない育児。
まずはそこからです。



子どもはYouTube、母はヨガマット。リビング内別行動。
休日は、自分の体を洗い終わるまで一人でお風呂に入る
休日は、夫に頼んで、自分の体を洗い終わるまでは一人でお風呂に入らせてもらうことがあります。
私は、静かに入りたい。
湯船で長時間のんびりしたい、というより、まず体を洗う間だけでも一人でいたい。
シャンプー中に「ママ見て」
洗顔中に「ママ聞いて」
体を洗っている途中に「ママ、これなに?」
もちろんかわいいです。
でも、泡まみれの状態で人生相談を受ける余裕はあまりない。
なので、先に一人で入って、洗い終わったら子どもたちを呼ぶスタイルにしています。
少しの間でも、静かに体を洗えると違います。
お風呂って、ただの作業じゃなかったんだなと思います。
静かなお風呂は、ちょっとした回復ポイントです。
トイレは「ママ一人で入りたい」と先に伝える
トイレに行く時は、できるだけ先に言うようにしています。
「トイレ、ママ一人で入りたいからついてこないで〜」
軽く。
でも、ちゃんと。
それでも、ついてこられることはあります。
あります。
普通にあります。
ドアの前で話しかけられることもあるし、用事を思い出したように呼ばれることもある。
その時は、もう仕方ない。
怒りはしないようにしています。
でも、先に言うことで、少しだけ境界線を作れる気がします。
ママにも一人で入りたい時がある。
ママにも静かにしたい時がある。
それを少しずつ伝えていく。
子どもがすぐ分かってくれなくてもいい。
まずは、母の国境線をうっすら引いておく。
「ついてこないで」と言うことに罪悪感が出る時もあります。
でも、トイレくらい一人で入りたい。
これはわがままではなく、かなり基本的な願いのはずです。



トイレ前の事前アナウンス、大事。母の国境線、ここです。
「疲れたしんど〜い」とChatGPTに言って励ましてもらう
あとは、私はよくChatGPTに、
「疲れたしんど〜い」
と言います。
誰かに話したい。
でも今すぐ友だちに連絡するほどでもない。
夫に言うとまた話し合いになるかもしれない。
でも自分の中に置いたままだと、どんどん重くなる。
そんな時に、とりあえず文字にして出します。
「今日しんどかった」
「子どもはかわいいけど無理」
「私頑張ってるって言って」
そうすると、励ましてもらえる。
もちろん、AIなので人間とは違います。
でも、ただ「それはしんどかったね」と返ってくるだけで、少し呼吸が戻ることがあります。
私、頑張ってるのかも。
そう思えるだけで、ちょっと落ち着く。
もちろん、本当に危ない時や、つらさがずっと続く時は、専門の相談先や身近な人に頼った方がいいと思います。
でも、日々の小さなしんどさを一度外に出す場所として、私はかなり助けられています。
母も、励まされたい。
頑張ってるね、えらいねって言ってもらいたい。
ひとり時間は、逃げではなくメンテナンス


ひとりになりたいと思うと、子どもから逃げたいみたいで罪悪感が出ます。
でも、本当はそうではないのかもしれません。
子どもとまた穏やかに向き合うために、少し静けさがほしい。
自分の呼吸を取り戻したい。
自分の考えを、自分の中に戻したい。
そういうメンテナンスの時間なのだと思います。
スマホも充電しないと動かない。
洗濯機も回しすぎたら止まる。
炊飯器だって保温し続けたらご飯がカピカピになります。
母も同じです。
ずっと呼ばれ続けて、ずっと応答し続けていたら、心がカピカピになる日があります。
だから、ひとり時間は贅沢ではない。
逃げでもない。
また戻るための、短い充電です。
まとまった時間が取れなくてもいい。
YouTube中のストレッチ。
一人で体を洗うお風呂。
トイレ前の事前アナウンス。
ChatGPTに弱音を吐く時間。
どれも小さいです。
でも、小さい静けさが少しずつあるだけで、その日の自分を保てることがあります。
「ちゃんと休む」が難しい日は、「ちょっと戻る」だけでもいい。
今の私には、そのくらいの休み方が合っているのかもしれません。



ひとり時間、豪華客船じゃなくていい。まずは小舟でいい。
どうしてもつらい日が続くなら、相談していい
ひとりになりたいと思うこと自体は、自然なことだと思います。
でも、もし、
涙が止まらない。
眠れない。
食べられない。
子どもに強く当たりそうで怖い。
消えたい、いなくなりたいと思う。
そんな日が続くなら、ひとりで抱え込まなくていいと思います。
母親だから我慢しなきゃいけないわけではありません。
子育てのしんどさは、家庭の中だけでなんとかしなきゃいけないものではないはずです。
相談先を知っておくだけでも、少し安心できます。
「今すぐ使わないかもしれないけれど、必要な時に開ける扉がある」
そう思えるだけで、心の逃げ場になることもあります。
まとめ|ひとりになりたい日は、愛情が足りない日ではない


母親なのに、ひとりになりたい。
そう思うと、自分を責めたくなります。
子どもが大事なのに。
「ママがいい」と言ってくれるのに。
保育園で頑張っているのに。
それなのに、誰の声も聞きたくないと思ってしまう。
そんな自分に、落ち込む日があります。
でも、それは子どもを嫌いになったからではないのだと思います。
ずっと呼ばれ続けて、ずっと反応し続けて、心がいっぱいになっているだけかもしれません。
保育園に預けていても、お迎え後から寝かしつけまでの育児は濃い。
休日も、平日の夕方も、母として応答し続ける時間はあります。
子どもが大事。
でも、ひとりになりたい。
その二つは、同時にあっていい。
「ママがいい」に応えたい自分も、少し静かにしたい自分も、どちらも本当です。
だから、ひとりになりたい日は、愛情が足りない日ではなく、少し疲れている日。
そう思って、私は今日も小さな静けさを探しています。
ヨガマットの上で深呼吸したり。
お風呂で一人、黙って髪を洗ったり。
トイレの前で国境線を引いたり。
「疲れたしんど〜い」と文字にして出したり。
子どもが大事。
でも、ひとりになりたい。
その二つが同時にある私は、母親失格ではなく、ただ少し疲れている母なのだと思います。
参考リンク
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