家族が頑張っている時に、自分だけ休むのが申し訳ない。休める時に休めない心の話

休めるタイミングで上手に休めなくて悩む母親のアイキャッチ画像

休める時間ができたのに、なぜか休めないことがあります。

子どもたちが保育園に行っている時間。

少し横になりたいなと思っても、

「子どもたちも保育園で頑張ってるんだから、私も頑張らなきゃ」

と思ってしまう。

夫が子どもたちを連れて出かけてくれている時も、本当は休めばいいのに、

「今のうちに家事をやっとかなきゃ」

と、今日やらなくてもいいことまで始めてしまう。

たぶん、同じことを友だちが言っていたら、

「いや、休める時に休んどきなよ」

と言うと思います。

でも、自分のことになると、なんだか休みにくい。

休むことが、家族に申し訳ないことのように感じる。

今回は、そんな「休める時に休めない」心について、少し整理してみようと思います。

目次

休める時間ができたのに、なぜか休めない

子どもたちが保育園に行って、仕事開始までの間、家が少し静かになる時間があります。

本当なら、そこで一息つけばいい。

横になってもいい。
お茶を飲んでもいい。
ぼーっとしてもいい。

でも、なぜか頭の中に別の声が出てきます。

「子どもたちも保育園で頑張ってるんだから」
「私も頑張らなきゃ」

子どもたちは遊んだり、給食を食べたり、お昼寝したりしながらも、子どもなりに集団生活を頑張っている。

そう思うと、自分だけ家で横になるのが、なんだか申し訳なくなるのです。

休憩ボタンを押したら、脳内で非常ベルが鳴る。

「本当に休むんですか?」
「今、休む必要ありますか?」
「洗濯物、見えてますよね?」

脳内の監督が、ホイッスルを持って立っています。

こちらはソファに座っただけなのに、すでに注意を受けている気分です。

はねママ

家族が動いてると、自分だけ座ってるのが不正ログインみたいに感じる。

夫が子どもを見てくれている時ほど、家事をしてしまう

夫が子どもたちを連れて出かけてくれる日もあります。

家が静かになる。

ひとりになれる。

本当なら、

「よし、休もう」

でいいはずです。

でも私は、

「今のうちに洗濯物を畳もう」
「床だけ掃除しよう」
「キッチン片付けよう」
「ついでにあれもやっとこう」

となりがちです。

しかも、それが今日絶対にやらなきゃいけないこととは限りません。

別に明日でもいい。

なんなら多少散らかっていても命に関わらない。

でも、子どもたちがいない静かな時間を見ると、

「今しかない」

が発動します。

子どもがいる時にはできないこと。
中断されると面倒なこと。
後回しにしていたこと。

それらが、ここぞとばかりに脳内で列を作ります。

休憩時間のはずなのに、未処理タスクの処理場になる。

空いた時間を見つけると、脳内家事係がすぐに出勤してきます。

頼んでないのに、めちゃくちゃ勤勉です。

「家族が頑張っている時に休む」が申し訳なくなる

家族が頑張っている時に、自分だけ止まっているように感じることがあります。

子どもが保育園で頑張っている。

夫が子どもを見てくれている。

その間に自分が横になると、自分だけ楽をしているような気がする。

「今、私だけ休んでいいのかな」

「家族のために使える時間を、自分のために使っていいのかな」

そんなふうに思ってしまうのです。

でも、よく考えると、家族全員が同じ時間にずっと頑張り続ける必要はないのかもしれません。

家庭は部活の円陣ではありません。

「全員で走るぞ!」
「最後まで気合いだ!」
「休むな!」

みたいな空気で毎日を回していたら、誰かが倒れます。

家族の中で、誰かが頑張っている時間に、誰かが回復していてもいい。

子どもが保育園にいる時間に、母が少し休む。

夫が子どもを連れて出かけている間に、母が少し横になる。

それは、家族に背を向けているわけではないはずです。

むしろ、また家族の中に戻っていくための回復時間なのだと思います。

はねママ

誰かが頑張っている時間に、誰かが回復していてもいい。

休むことが“悪いこと”みたいに感じる脳内ルール

私は、頑張っている自分のことはまだ許せます。

家事をしている自分。
仕事をしている自分。
子どもの準備をしている自分。
洗濯物を畳んでいる自分。

そういう自分は、「ちゃんとしている」と思いやすい。

でも、横になっている自分は許しにくい。

本当は、休むことはただの回復です。

疲れたから休む。
眠いから寝る。
頭がいっぱいだから、少しぼーっとする。

それだけのことです。

でも、心の中ではいつの間にか、

頑張る=良いこと
休む=サボり
家事をする=有効活用
横になる=もったいない

みたいなルールになっていることがあります。

休むことが、いつの間にか道徳の問題になっている。

「休むか、家事をするか」という選択のはずなのに、

「私はちゃんとした母か、そうじゃない母か」

くらいの重さになってしまう。

重い。

ソファに横になるだけなのに、裁判が始まっています。

判決、主婦有罪。

いや、ちょっと待ってほしい。

何も生み出していない時間が不安になる

家事は、成果が目に見えます。

洗濯物を畳めば、山が少し低くなる。

食器を片付ければ、シンクが見える。

床を掃除すれば、足の裏に謎の小石みたいなものが刺さらなくなる。

でも、横になっても部屋は片付きません。

洗濯物も減りません。

シンクもそのままです。

だから、休む時間が「何もしていない時間」に見えてしまうのだと思います。

でも本当は、何もしていないわけではありません。

体力を戻している。
気力を戻している。
頭の中を少し静かにしている。
夕方以降に爆発しないための余白を作っている。

目に見えないだけで、休むことにもちゃんと意味があります。

横になっても洗濯物は減らない。

でも、自分のHPは少し戻るかもしれない。

家事ゲージは増えなくても、人間ゲージは戻る。

それは、かなり大事なことです。

はねママ

何もしてないように見えて、実は充電中。

家事育児の負担が多いと、“今しかない”が発動する

子どもがいる時間は、家事が進みにくいです。

洗濯物を畳もうとすると、子どもが上に乗る。

食器を片付けようとすると、「ママ見て」が飛んでくる。

掃除を始めると、なぜか別の部屋で新しい散らかりが生まれる。

片付けとは、砂浜に穴を掘るようなもの。

掘っても掘っても、波が来ます。

だから、子どもがいない時間や、夫が子どもを見てくれている時間はとても貴重です。

今なら進む。
今なら中断されない。
今なら一気に片付けられる。

そう思うと、休むより先に家事をしたくなります。

でも、毎回「今しかない」で動いていると、休む時間は永遠に来ません。

子どもがいない時間は家事。
子どもがいる時間は育児。
夜は残った家事。
寝る前に反省会。

いつ休むのでしょう。

宇宙でしょうか。

地球上に休む場所がありません。

休めないのは、性格だけの問題ではない

休めないのは、ただ自分が真面目すぎるからだけではないと思います。

日々の家事育児の量が多いと、空いた時間にタスクを詰め込みたくなるのは自然なことです。

内閣府の男女共同参画白書でも、夫婦になると女性の家事時間は男性の2倍以上になり、「夫婦と子供」の世帯ではさらに差が大きくなることが示されています。

もちろん、家庭によって状況は違います。

でも、家事育児の負担が母側に寄りやすい背景は、社会全体としてもあります。

だから、空き時間を見た時に、

「やっと休める」

ではなく、

「今のうちにやらないと」

になるのは、性格の問題だけではないのだと思います。

実際に、やることが多い。
実際に、後回しにすると自分に返ってくる。
実際に、夕方の自分が困る。

だから休めない。

これは、心のクセだけでなく、生活の現実でもあります。

はねママ

子どもがいない時間、休憩じゃなくて未処理タスクの処理場になりがち。

他人には「休んで」と言えるのに、自分には言えない

もし友だちが、

「子どもが保育園に行ってる間、休みたいけど罪悪感がある」

と言っていたら、私はきっと言います。

「休みなよ」
「休める時に休んどきなよ」
「今休まないでいつ休むの」

かなり即答だと思います。

なんなら、布団まで敷きます。
スマホのアラームも15分後にセットします。

でも、自分には同じことがなかなか言えません。

友だちにはやさしいのに、自分には厳しい。

他人には、

「疲れてるんだから休んでいいよ」

と言える。

でも自分には、

「まだできるでしょ」
「今のうちにやっときなよ」

と言ってしまう。

この差は、けっこう大きいです。

大事な人に言う言葉を、自分にも向けてみる

自分に思いやりを向ける考え方に、セルフ・コンパッションというものがあります。

セルフ・コンパッションは,自分にとって困難な状況において,自分に優しい気持ちを向け,そのときの経験を良い,悪いと判断することなく受け入れ,そうした経験が他の人たちと共通していることを認識することである。

日本心理学会の記事でも、セルフ・コンパッションが高まると、自分にとって本当に必要なものや、喜び・幸せに意識が向きやすくなると紹介されています。

セルフ・コンパッションは、自分を何でも甘やかすことではありません。

大事な人に向けるような言葉を、自分にも向けてみること。

もし友だちに、

「家族が頑張ってる時に自分だけ休むのが申し訳ない」

と言われたら、たぶん私はこう言います。

「あなたもずっと頑張ってるよ」
「休める時に休んでいいよ」
「少し横になったからって、家族を大事にしてないことにはならないよ」

本当は、その言葉を自分にも言っていいのだと思います。

「私だけ休んでいいの?」

ではなく、

「私も休んでいい」

にする。

家族だけではなく、自分も家族のひとりです。

家族の中で、私だけ回復対象外にしなくていい。

はねママ

大事な人に言う言葉を、自分にも少し分けてあげたい。

休むことは、家族を大事にしないことではない

厚生労働省のe-ヘルスネットでは、休養には「休む」と「養う」の二つの側面があると説明されています。

疲労やストレスから回復すること。
そして、明日に向けて心身の力を養うこと。

つまり、休むことは何もしないことではなく、回復することです。
明日に向けて、自分を整えることです。

家族のために頑張り続けるだけが、家族を大事にする方法ではありません。

家族の中で倒れないために、休む。
夕方の自分が少しやさしくいられるように、休む。
子どもに「早くして!」を少し減らせるように、休む。
夫にイラッとした時、いきなり心のちゃぶ台をひっくり返さないために、休む。

そう考えると、休むことも家庭を回すための大事な要素なのだと思います。

休まない母が偉い、という謎ルールからは、少しずつ降りたいです。

もちろん、家族のためという理由をつけすぎなくてもいい。

ただ疲れているから休む。

本当は、それだけで十分な理由です。

はねママ

休まない母が偉い、みたいな謎ルールから降りたい。

今日の小さな休み方

とはいえ、いきなり半日まるごと休むのは難しいかもしれません。

罪悪感が強い時に、

「今日は全部放り出して寝ます」

は、なかなかハードルが高い。

なので、まずは小さく休むところからでいいと思います。

たとえば、

  • 15分だけ横になる
  • タイマーをかける
  • やることリストを1つだけ書いてから休む
  • 家事を1つだけ後回しにする
  • 温かい飲み物を飲む
  • 「今は回復の時間」と声に出す
  • ソファで目を閉じるだけにする

「ちゃんと休むぞ」と気合いを入れすぎると、また頑張る方向になってしまうことがあります。

休むことまでタスク化すると、休憩が急に資格試験みたいになります。

なので、ゆるくていい。

15分だけ。
横になるだけ。
目を閉じるだけ。

それでも十分です。

“休んだ証拠”を見つけてみる

休んだあと、部屋が片付いていないと、

「やっぱり家事すればよかったかな」

と思うことがあります。

でも、休みの成果は部屋に出るとは限りません。

自分の中に出ます。

起きたあと、少し頭が軽くなった。
夕方、少しだけイライラが減った。
子どもの話に少しだけ付き合えた。
ごはんの支度で、いつもより心が荒れなかった。
何となく呼吸がしやすくなった。

それも、休んだ証拠です。

洗濯物みたいに目には見えなくても、休みの効果はあります。

家事は、やれば成果が見えやすい。

でも休みは、自分の中にゆっくり効いてくる。

だから、休んだあとに少しでも楽になったら、

「ちゃんと意味があった」

と見てあげたいです。

休みの成果は、部屋じゃなくて自分に出る。

それを少しずつ覚えていきたいです。

はねママ

休みの成果は、部屋じゃなくて自分に出る。

まとめ|家族が頑張っている時間に、私も休んでいい

子どもが保育園で頑張っている時。

夫が子どもを見てくれている時。

自分だけ休むのが申し訳なくなることがあります。

でも、休むことは悪いことではありません。

休むことは、疲れた自分を回復させること。

明日に向けて、自分を少し養うこと。

家族が頑張っている時間に、私が回復していてもいい。
家族全員が、同じ時間に頑張り続けなくてもいい。

「休める時に休めない私」を責めるのではなく、

「休みにくくなるくらい、ずっと頑張ってきたんだな」

と見てあげたいです。

今日、15分だけ横になる。
洗濯物を1つだけ後回しにする。
温かい飲み物を飲んで、少しぼーっとする。

それも、家族の中で倒れずにいるための大事な一歩なのだと思います。

家族が頑張っている時間に、私も頑張るだけじゃなくていい。

家族が頑張っている時間に、私は少し回復してもいいのだと思います。

参考リンク

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この記事を書いた人

2児育児に奮闘しながら、子育てに関する悩みや不安に寄り添い、育児に役立つ情報を発信しています。
読んだ人の気持ちが少しでも軽くなるような、やさしいブログを目指しています。

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