最近、夫と「甘やかし」についてぶつかることが増えました。
前からたまに、
「甘やかさないで」
と言われることはありました。
でも最近は、3歳娘のイヤイヤや自己主張が増えてきたこともあって、夫の中で
「これはママが甘やかしているからでは?」
という見方が強くなっているように感じます。
私は、子どもの気持ちを尊重しているつもりです。
でも夫から見ると、それが甘やかしに見えることがあるらしい。
サラダにドレッシングをかけたのに食べなかった時。
お医者さんごっこで絆創膏を使いたがった時。
ファミレスで子ども2人が、どちらも私の隣に座りたがった時。
ひとつひとつは、小さな出来事です。
でもそのたびに、
「これは甘やかしなの?」
「子どもの気持ちを聞くことと、何でも許すことは同じなの?」
と、私の中でぐるぐる考えるようになりました。
今日は、ここ数日の夫との“甘やかし論争”から、私なりに考えたことを書いてみます。
娘のイヤイヤが増えて、夫の「甘やかしじゃない?」も増えた
3歳娘は、最近イヤイヤや自己主張が増えてきました。
もちろん、ずっとではありません。
かわいい時もあるし、よく笑うし、甘えてくるし、プリンセスみたいに扱われると急に機嫌が直ることもあります。
でも、思い通りにならない時の主張はなかなか強い。
「これがいい」
「やだ」
「ママがいい」
「パパじゃない」
はい、出ました。
3歳児の小さな王国。
本人の中では、たぶんかなり真剣です。
ただ、その様子を見た夫は、
「このままわがままになったら困る」
「甘やかしすぎなんじゃない?」
と感じることがあるようです。
夫は夫で、娘の将来を心配しているのだと思います。
何でも通ると思ってほしくない。
我慢も覚えてほしい。
食べ物や物を大事にしてほしい。
それは分かります。
でも私は、イヤイヤや自己主張が増えたことを、すぐに
「甘やかしの結果」
と結びつけるのは、少し怖いと感じました。
3歳って、まだ自分の気持ちを出す練習中でもあると思うんです。
それを全部
「わがまま」
として見てしまうと、娘の気持ちごと押さえつけてしまいそうで。
そこが、私の中でずっと引っかかっていました。
はねママ「甘やかし」という言葉、範囲が広すぎる。育児界の雑な収納ボックス。
夫には「甘やかし」に見えて、私は「気持ちを聞いている」つもりだった


夫には、私の対応が甘やかしに見えることがあるようです。
でも私としては、何でも許しているつもりはありません。
ただ、まずは子どもの気持ちを聞きたい。
どうしたかったのか。
何が嫌だったのか。
本当にやりたいのか。
疲れているのか。
甘えたいだけなのか。
そこを見たいんです。
夫はたぶん、
「このまま何でも通していたら、わがままになる」
ことを心配している。
私は、
「子どもの気持ちを無視して、言うことを聞かせようとする方が怖い」
と思っている。
どちらも子どものことを考えているのかもしれません。
でも、見ている危険が違う。
だから同じ場面を見ても、判断がズレるんだと思います。
夫は
「言うことを聞かせないと困る」
と感じる。
私は
「怒りで言うことを聞かせる方が怖い」
と感じる。
ここが、かなり大きな違いなのだと思いました。



私は気持ちを聞いてるつもり。夫には許可証を乱発してるように見えるらしい。
サラダの件|食べなかっただけで「わがまま」と決めたくなかった


たとえば、娘がサラダにドレッシングをかけたのに、一口も食べなかったことがありました。
夫は、
「食べる気がないのにかけたなら、食べ物で遊んだんじゃないか」
と感じたようでした。
私も、食べ物を無駄にされたように感じるイライラは分かります。
ドレッシングも無料ではありません。
親の心の小皿も、ちょっと割れます。
でも一方で、
「お腹いっぱいだったのかも」
「かけた時は食べる気があったのかも」
「野菜が苦手で、目の前に来たらやっぱり難しかったのかも」
とも思いました。
食べ物で遊ぶのを、そのままにしたいわけではありません。
でも、食べなかった一回で
「わがまま」
「遊んだ」
と決めつけるのは、少し早い気がしました。
食べなかったなら、次は出し方を変える。
娘を責める前に、ドレッシングを後がけにする。
それは甘やかしではなく、仕組みの調整だと思っています。
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サラダの件については、こちらの記事で「遊び食べ」と「食べられなかっただけ」の境界線をもう少し詳しく考えています。
絆創膏の件|好きなだけ使わせるのではなく「2枚まで」にした


娘は、お医者さんごっこが好きです。
ぬいぐるみを診察したり、自分に絆創膏を貼ったりしたがります。
もちろん、本当にけがをしたわけではありません。
ごっこ遊びです。
それを見た夫は、絆創膏を遊びに使わせることが気になったようでした。
夫からすると、それも甘やかしに見えたのだと思います。
でも私は、好きなだけ使わせているわけではありません。
「2枚までね」
と決めています。
使いたい気持ちは受け止める。
でも、無限には使わせない。
これは私の中では、甘やかしというより、
枠の中で選ばせるに近いです。
お医者さんごっこをしたい気持ちは大事にする。
でも、絆創膏には限りがあることも伝える。
全部ダメにするのではなく、全部OKにするのでもなく、
「今日は2枚まで」
という枠を作る。
それは、私なりのしつけでもあると思っています。
ファミレスの席の件|平和に食べるための配置は甘やかしなのか


ファミレスで、子どもたち2人とも
「ママの隣がいい」
となったこともありました。
結果、私と子ども2人でソファ席に座りました。
すると夫に、
「甘やかさないで」
と言われました。
でも私は、それを甘やかしというより、
その場を荒らさずに食事するための座席配置
だと思いました。
もちろん、子どもがパパを押しのけたり、失礼な言い方をしたり、ぎゅうぎゅうになりすぎて隣の席の方に迷惑になりそうであれば注意します。
そこは別です。
でも、
「2人ともママの隣がいい」
「ソファ席に3人で座れる」
「それで落ち着いて食事ができる」
なら、その場の現実的な対応としてアリなのではと思いました。
ファミレスで座席をめぐって大荒れするより、落ち着いて食べられる形にする。
それは、育児の現場判断だと思うんです。
パパを嫌わせたいわけでもない。
毎回この形に固定したいわけでもない。
ただ、その時その場で、家族が平和に食べられる形を選んだ。
それを全部甘やかしと言われると、正直ちょっとしんどいです。



自分的には甘やかしじゃなくて、家庭内ファミレスオペレーションです。
私が思う「甘やかし」と「尊重」の違い


ここまで考えてみて、私の中で少し整理できたことがあります。
子どもの気持ちを聞くことは、甘やかしではないと思います。
でも、何でも好きにさせることが尊重でもない。
この2つは、ちゃんと分けたいです。
甘やかしに近いと思うこと
私が「これは甘やかしに近いかも」と思うのは、たとえばこういうことです。
- 危ないことをしても止めない
- 人を傷つけても注意しない
- 食べ物をわざと粗末にしてもそのまま
- 親が無理しているのに、全部叶える
- ルールがなく、その場の機嫌で何でも通す
- 子どもが困る経験を、全部先回りして消す
子どもが泣くから。
怒るから。
面倒だから。
かわいそうだから。
そういう理由だけで、必要な線引きまで消してしまうなら、それは甘やかしに近いのかもしれません。
尊重だと思うこと
一方で、私が「尊重」だと思うのは、こういう関わり方です。
- 子どもの気持ちをまず聞く
- できる範囲で希望を叶える
- ダメな時は理由を伝える
- 枠を作って選ばせる
- 失敗しても人格を責めない
- 年齢や疲れ具合に合わせて負荷を調整する
たとえば、絆創膏なら2枚まで。
食事なら、食べるかどうかは無理強いしないけど、遊ぶなら下げる。
ファミレスなら、座れる範囲でママの隣でもいいけれど、危ない座り方や人を押しのけるのは止める。
気持ちは聞く。
でも、必要な枠は作る。
それが、私の考える尊重に近いです。



尊重と甘やかし、見た目が似てる時がある。でも中にルールが入ってるかどうかで違う気がする。
「枠の中で選ばせる」を大事にしたい
私は、子どもの希望を全部通したいわけではありません。
でも、全部大人の言う通りに動かしたいわけでもありません。
家は、甘やかす場所ではなく、
安心して練習する場所
にしたいです。
保育園で頑張っている。
外ではできることもある。
でも家では疲れてできない日もある。
家では甘えが出る日もある。
それを全部
「わがまま」
として見てしまうと、子どもも疲れてしまう気がします。
家までずっと査定会場にしたくない。
保育園で頑張って、家でも満点要求。
それは大人でもしんどいです。
もちろん、家で何でも許すわけではありません。
でも、家では少し負荷を下げて、小さく練習する。
子どもが安心して失敗できる場所にする。
私はそういう関わり方をしたいのだと思います。
夫婦で違う時は、「甘やかし」ではなく「次の対応」を話したい


「甘やかしすぎ」
と言われると、私は責められた気持ちになります。
でも本当は、そこで止まらずに
「何が気になったのか」
を具体的に見たいです。
食べ物を無駄にしたように見えたのか。
絆創膏を消費するのが気になったのか。
ファミレスでパパの隣に座らなかったのが寂しかったのか。
そこが分かれば、対応は考えられます。
サラダなら、ドレッシングを少量にする。
絆創膏なら、使っていい枚数を決める。
ファミレスなら、その日の状況で座り方を決める。
「甘やかし」という言葉でまとめると、話が雑になってしまう気がします。
育児の圧縮ファイルみたいなものです。
解凍しないと、中身が分からない。
私は、甘やかし判定で終わらせるより、
「何が嫌だったのか」
「次はどうするのか」
に戻したいです。
夫婦で見ているものが違う時こそ、抽象論ではなく、次の具体策にしたい。
サラダも。
絆創膏も。
ファミレスの席も。
子どもの性格判定ではなく、家族のルール作りに変えていけたらいいなと思います。



育児方針の話、抽象論にすると燃える。具体策にすると少しだけ鎮火する。
まとめ|子どもの気持ちを聞くことは、甘やかしとは限らない
子どもの気持ちを聞くことは、甘やかしとは限らない。
でも、何でも好きにさせることが尊重でもない。
気持ちは聞く。
枠は作る。
ダメなことは止める。
でも、子どもの人格までは責めない。
私は、そんな関わり方をしていきたいのだと思います。
夫婦で見え方が違うことは、これからもあると思います。
夫は、娘がわがままにならないか心配している。
私は、娘の気持ちが押さえつけられすぎないか心配している。
見ているリスクが違うから、ぶつかることもある。
でもそのたびに、
「甘やかしだ」
「いや違う」
で終わらせるのではなく、
「何が気になったのか」
「次はどうするのか」
に戻れたらいい。
サラダも、絆創膏も、ファミレスの席も。
子どものわがまま判定ではなく、家族のルール作りに変えていきたいです。
聞くけど、全部は通さない。
受け止めるけど、枠は作る。
そのくらいの関わり方を、わが家なりに探していきたいと思います。
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