4歳息子は、物事の受け取り方が少しネガティブに見えることがあります。
たとえば、娘の手がたまたま当たった時。
私から見ると、事故です。
小さな手が、たまたま当たっただけ。
でも息子の中では、
「叩いてきた」になります。
娘の足に引っかかって転んだ時も、
「転ばされた」になる。
まだ遊んでいたおもちゃを、娘が気づかず片付けてしまった時は、
「僕に遊ばせたくないんでしょ」になる。
その変換、ちょっと待って。
脳内の翻訳ソフト、悪意方面に寄りすぎてない?
そんなふうに思ってしまうことがあります。
もちろん、息子の中では本当にそう感じているのだと思います。
でも親としては、心配になります。
この受け取り方だと、これから先しんどくならないかな。
友達との関係で、苦しくならないかな。
もう少しラクに考えられたらいいのにな。
そんなことを、つい考えてしまいます。
息子は、悪い方に受け取りやすいところがある

息子の受け取り方を見ていると、出来事そのものよりも、そこにくっつく意味が重くなりやすいのかなと思うことがあります。
たとえば、こんな感じです。
- 娘の手が当たった
→「叩かれた」 - 娘の足に引っかかって転んだ
→「転ばされた」 - まだ遊んでいたおもちゃを娘が片付けた
→「僕に遊ばせたくないんでしょ」
横で見ている私は、
「いや、今のはたぶん事故だよ」
と心の中で実況しています。
でも息子の中では、もう事件になっている。
もちろん、痛かったり、嫌だったりした気持ちは本当です。
そこは否定したくありません。
でも、全部を
「嫌なことをされた」
として受け取っているように見える時があって。
親としては、少しドキッとします。
「僕のせい?」と聞いてくることもある
それから息子は、予定が少しズレたり、何かイレギュラーなことがあった時に、
「僕のせい?」
と聞いてくることがあります。
誰も責めていません。
誰のせいとも言っていません。
ただ、出発の時間が少し押している。
予定通りに進まなかった。
ちょっとバタバタしている。
それだけなのに、急に
「僕のせい?」
と聞いてくる。
そのたびに、胸がぎゅっとなります。
誰のせいとかにしなくていいよ。
誰も息子を責めてないよ。
そう言いたくなります。
でも、息子の中では何かが
「自分が悪いのかな」
につながってしまうのかもしれません。
はねママ息子の脳内翻訳ソフト、たまに“悪意あり”で自動変換してくる。
前に嫌だったことを、急に思い出して泣いた夜


昨日も、お風呂でこんなことがありました。
娘が滑って転んで、息子にぶつかってしまったんです。
その時、前に保育園で他の子にキックされた場所に当たってしまったようでした。
その出来事自体は、何ヶ月も前のことです。
当時も、上の優しい子が先生に言ってくれて、助けてくれたそうです。
もう解決済み。
少なくとも私は、そう思っていました。
でも、ぶつかった衝撃で思い出したのか、息子は泣きながら言いました。
「〇〇くんにキックされて痛かったんだよ〜」
「ぼく泣いてて、嫌だって言えなかったんだよ〜」
それを聞いて、胸がきゅっとしました。
何ヶ月も前のことなのに、まだ泣けるほど嫌だったんだ。
息子の中では、まだちゃんと終わっていなかったんだ。
親から見ると、もう過ぎたこと。
園で対応してもらったこと。
今は大丈夫なこと。
でも、子どもの心の中では、まだ引き出しの手前に残っていることもあるのかもしれません。
それくらい嫌だったんだね。
そう思う一方で、正直、心配にもなりました。
こんなに前のことを、まだこんなに痛そうに思い出すんだ。
この子は、いろんなことを深く受け取りすぎて、しんどくならないかな。
そう考えてしまいました。



親の中では解決済みでも、子どもの心の中では未処理フォルダに残っていることがあるのかも……
「そんな受け取り方しなくても」と思ってしまう自分もいる


息子のことが心配だからこそ、私は時々、正したくなります。
- 「それは叩かれたんじゃないよ」
- 「転ばされたんじゃなくて、たまたまだよ」
- 「そんな嫌なふうに考えなくてもいいよ」
そう言いたくなる。
でも本音を言うと、もっと黒い気持ちもあります。
なんでそんな嫌な方に受け取るの。
なんでわざわざ苦しくなる考え方をするの。
そう思ってしまうことがあるんです。
そしてそのあと、そんなことを思った自分にまた落ち込みます。
ネガティブな息子を心配している私も、だいぶネガティブ。
親子で工場稼働中。
でも、たぶん私が本当に怖いのは、息子の今だけではありません。
この子がこのまま大きくなった時、しんどくならないかな。
人間関係で傷つきすぎないかな。
何でも自分のせいにしてしまわないかな。
そこまで考えてしまう。
未来まで心配して、まだ来ていない明日の分まで胸が重くなる。
親の想像力、たまに働きすぎます。



息子のネガティブを心配してる私も、だいぶネガティブ。
親子で工場稼働中。
でも息子は、愛情深くて優しい子でもある


ここでちゃんと書いておきたいのですが、息子はただネガティブな子ではありません。
とても愛情深い子です。
1時間に1回くらい、
「ママ大好き」
と言ってくれます。
ハグもしてくれます。
定期便かな。
かなりありがたい定期便です。
私が
「ママ嬉しい」
と言ったことを覚えていて、あとから進んでやってくれることもあります。
たとえば、食器を下げること。
たまたま食器を下げてくれた時に、
「ありがとう!ママ嬉しいな~」
と言ったら、覚えていて、やってくれるようになりました。
そういうところを見ると、息子は本当によく人の反応を見ているんだと思います。
人がどう感じるか。
自分が何をしたら喜ぶか。
何をしたら悲しむか。
そういうことを、たぶんよく感じ取っている。
だからこそ、傷つきやすいのかもしれません。
優しさと受け取りやすさは、近いところにあるのかもしれない。
そう思うと、ただ
「ネガティブだから直したい」
とは言えなくなります。
息子の優しさまで消したいわけではないからです。
自分に似ている気がして、怖くなる
息子を見ていると、自分に似ている気がして怖くなることがあります。
私も、もともとネガティブに受け取りやすいところがありました。
今でこそ、大人になっていろいろ知りました。
人にはいろんな考え方があること。
同じ出来事でも、見方はいくつもあること。
相手の言葉がすべて自分への攻撃とは限らないこと。
そういうことを知って、昔よりは受け皿が少し広がったと思います。
でも正直、今も生きやすいと胸を張って言えるわけではありません。
昔はもっと、いろんなことがしんどかったです。
人の言葉を気にしすぎたり。
自分のせいかもと思ったり。
悪い方に考えて、勝手に傷ついたり。
だから息子を見ると、思ってしまうんです。
私に似たのかな。
私のせいなのかな。
これ自体も、だいぶネガティブですね。
ネガティブの入れ子構造。
でも、似ている気がするからこそ、心配になるんです。
未来の息子に、昔の自分を重ねてしまう。
できれば、あのしんどさをそのまま渡したくない。
もう少しラクに受け取る方法を、一緒に見つけてあげたい。
そう思ってしまいます。
ネガティブを否定するより、「別の見方」を一緒に探したい


息子の受け取り方を見ていると、ついすぐ訂正したくなります。
「叩かれたんじゃないよ」
「転ばされたんじゃないよ」
「そんなふうに思わなくていいよ」
でも、それを最初に言うと、息子の気持ちごと否定してしまう気がします。
息子にとっては、痛かった。
嫌だった。
悲しかった。
怖かった。
それは本当です。
だから、まずはそこを受け止めたい。
そのうえで、少しずつ
「別の見方もあるかもしれない」
を足していけたらいいなと思っています。
まず「嫌だったね」と受け止める
たとえば娘の手が当たった時。
すぐに
「叩いてないよ」
と言いたくなります。
でも、まずは
- 「びっくりしたね」
- 「痛かったね」
- 「嫌だったね」
と受け止める。
息子の中で起きた気持ちは、いったんそのまま置く。
そこを飛ばして訂正だけすると、たぶん息子は
「わかってもらえなかった」
と感じてしまう気がします。
そのあとで「事故だったかも」を足す
気持ちを受け止めたあとで、少しだけ別の見方を足します。
- 「でも、今のはわざとじゃなくて、手が当たっちゃったのかもしれないね」
- 「娘ちゃんも、ぶつかるつもりはなかったかもね」
- 「まだ遊んでたって気づかなかったのかもね」
こんな感じです。
息子の感じ方を消すのではなく、横に別の可能性を置く。
「あなたの気持ちは本当」
「でも、相手の気持ちは別かもしれない」
この2つを、少しずつ一緒に持てるようになったらいいなと思います。
「他の可能性」を一緒に考える
少し落ち着いたら、息子と一緒に考えてみるのもよさそうです。
- 「わざとだったかな?たまたまだったかな?」
- 「娘ちゃんはどう思ってたかな?」
- 「まだ遊んでるって知らなかったのかもね」
- 「嫌だったって言えなかったんだね」
こうやって、ひとつの出来事に対して別の見方もあることを、少しずつ伝えていきたい。
息子の脳内翻訳に
「悪意あり」
しか出てこない時、親がそっと別訳を差し出す感じです。
「別訳もあります」
と、横に置く。
無理やり上書きするのではなく、そっと置く。
それくらいが、今の息子には合っている気がします。



ネガティブ思考を正面から殴ると、たぶん余計に丸まる。
ふわっと横に座りたい。
親にできる声かけを、わが家なりに考えてみた
実際には、毎回きれいに声かけできるわけではありません。
こちらも疲れているし、下の子もいるし、現場はそんなに整っていません。
でも、落ち着いている時に考えておくと、少しは言葉が出やすくなる気がします。
娘の手が当たった時
「びっくりしたね。痛かったね」
「叩かれたって感じたんだね」
「でも、今のはわざとじゃなくて、手が当たっちゃったのかもしれないね」
娘の足に引っかかって転んだ時
「転んで痛かったね」
「転ばされたって思ったんだね」
「でも、娘ちゃんも気づいてなかったかもしれないね」
おもちゃを片付けられた時
「まだ遊びたかったんだね」
「勝手に片付けられて嫌だったね」
「でも、娘ちゃんは“遊ばせたくない”じゃなくて、もう終わったと思ったのかも」
「僕のせい?」と聞かれた時
「誰かのせいを探してるんじゃないよ」
「今は予定が変わっただけだよ」
「一緒にどうするか考えよう」
この
「誰かのせいじゃなくて、今どうするか」
は、これから何度も伝えていきたい言葉です。
息子がすぐ自分のせいにしそうな時、責任探しではなく作戦会議に切り替えたい。
うまくいくかはわかりません。
でも、息子の中に少しずつ
「全部自分のせいじゃない」
「全部相手の悪意でもない」
という受け皿ができたらいいなと思います。



「なんでそんな風に受け取っちゃうの~」と言いそうになるのをグッと堪えるのがめちゃくちゃむずかしい~。毎日修行。
それでも心配な時は、ひとりで抱えなくていい


子どもの受け取り方が気になる時、親はついひとりで考えすぎてしまいます。
この子、大丈夫かな。
私の関わり方が悪いのかな。
このままだと、しんどくならないかな。
そうやって、心配を脳内で煮込み続ける。
でも、心配を抱えたままひとりでぐるぐるするのは、親もしんどいです。
もし、子ども本人がすごくつらそうだったり、園生活や友達関係で困りごとが続いていたり、親の心配がずっと消えない時は、誰かに相談してもいいと思います。
園の先生。
自治体の子育て相談。
身近な相談窓口。
子どもの様子を一緒に見てくれる人。
相談することは、子どもに何かラベルを貼ることではないと思います。
親子が少しラクになるために、地図を増やすこと。
「この子はこういうところがあるのかも」
「こう声をかけると伝わりやすいのかも」
「今は様子を見てもよさそう」
そういう材料が増えるだけでも、親の心は少し落ち着くことがあります。
様子を見るのも大事。
でも、親の心がずっとザワザワしているなら、誰かに聞いていい。
私はそう思っています。
まとめ|息子の優しさはそのままに、少しラクな受け取り方を増やしたい
息子は、物事を悪い方に受け取りやすいところがあります。
娘の手が当たっただけでも、
「叩かれた」
と感じる。
予定が少しズレただけでも、
「僕のせい?」
と聞く。
前に嫌だったことを思い出して、涙が出ることもある。
親としては、心配になります。
この子はこの先、生きにくくならないかな。
友達との関係で苦しくならないかな。
自分を責めすぎないかな。
そんなふうに考えてしまいます。
でも息子は、ただネガティブな子ではありません。
愛情深くて、優しくて、人の気持ちをよく見ている子です。
「ママ大好き」と何度も伝えてくれて、
「ママ嬉しい」と言ったことを覚えて、行動に移してくれる。
その優しさまで、私は消したいわけではありません。
だから、息子の受け取り方を無理に変えようとするより、少しずつ一緒に別の見方を探していきたいです。
「嫌だったね」
「痛かったね」
「でも、わざとじゃなかったかもしれないね」
「全部自分のせいじゃないよ」
「一緒に考えよう」
そんな言葉を、少しずつ渡していきたい。
息子の優しさはそのままに。
傷つきやすさだけが、ほんの少し軽くなったらいい。
そんな都合のいいことを、親は今日も願っています。
そしてたぶん、明日もまた、息子の脳内翻訳ソフトにそっと別訳を差し出すのだと思います。
「悪意あり」だけじゃなくて、
「たまたま」
「気づかなかった」
「別に誰のせいでもない」
も、選択肢に入りますように。
参考リンク
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